今年も残すことわずかとなりました。

今年を振り返ってみると、新型コロナウイルス感染症に振り回された一年でした。幸いにも私自身罹患することもなく、家族、身内、患者さんも罹患することはありませんでした。どうにか乗り切れたかなという感じです。情報を収集しつつ自ら考え、感染症対策は行ってきましたが、もしかしたら運が良かっただけなのかもしれません。生きることを考えさせられる機会もあり激動の一年でした。大変でしたがある意味では充実した一年でもあったのかもしれません。ただ、来年も油断はできません。

さて、漢字一文字を通して今年を振り返ってみました。個人的には「乱」で表すことのできる一年であったと思います。

まず、乱(らん)という文字を『広辞苑』で調べてみました。

①みだれること。秩序のなくなること。

②世のみだれること。戦争。騒動。

等となっています。

コロナ禍により、日常生活が乱れ、経済が乱れ、社会が乱れました。

首相交代もあり政治が乱れました。政策は常に後手、後手となりました。

我が家の部屋も子供たちが部屋を散かし乱れました。片付けても片付けても散かし、乱れました。

私の心も乱れ気味でした。例年よりストレスを受け続けた一年でした。ストレスを受けることは仕方がないと諦めてもいました。ストレスを溜め込み続けてしまうと、心や身体が不調を訴えてしまい、心や身体を壊してしまう可能性があります。そこで、いかに溜め込まないようにするかを考えていました。毎日、お灸をしたりしましたが「コーピング」といわれるストレス解消法をしていました。

コーピングとは意図的に気晴らしをしてストレスを解消する方法です。自分にとって楽しいことを沢山して嫌なことから、その時だけでも忘れていました。楽しいことをしている時は、脳から幸せを感じるようなホルモンが出ているといわれています。

私は、小説を読んでいると気晴らしができます。

最近、森鴎外の「高瀬舟」を読み返してみました。「高瀬舟」は安楽死について考えさせられる話ですが、それ以外についても示唆に富む作品です。喜助の両親は「時疫(じえき)」という流行病で亡くなっています。今でいう感染症です。

江戸時代は感染症が頻繁に起こっていました。ワクチンなどもなく、罹患してしまうと死んでしまうこともありました。現代のように医療体制が整っているわけでもなく、病院へ直ぐに行くこともできませんでした。庶民は病の予防対策として日常的にお灸をしていたという記録が残っています。

以前では、ただただ読み飛ばしていた箇所にもコロナ禍だからこそちょっと立ち止まってしまう様な文章があります。

庄兵衛は只漠然と、人の一生というような事を思って見た。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食って行かれたらと思う。万一の時に備える蓄がないと、少しでも蓄があったらと思う。蓄があっても、又その蓄がもっと多かったらと思う。かくの如くに先から先へと考て見れば、人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が附いた。

森鴎外の小説は、考えさせられるものが多いのでつい手に取ってしまいます。「堺事件」や「山椒大夫」も読み返してみましたが面白く、考えさせられました。この二作品のテーマは、犠牲といったところでしょうか。

最後になりました。来年は乱れのない世の中になってもらいたいと思います。同時に私自身も落ち着いた一年にしたいと思います。心穏やかに平和な一年でありたいと願います。

年内は30日(水)まで診療をしております。

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます