与えられた時間には限りがあります。だから何事も遠回りせず最短でいきたいものです。しかし、「急がば回れ」といわれます。遠回りをすると、はたして目的地へ到着できるのかという不安もあります。「遠回りと不安」について、師匠達との出会いや思い出を通して考察してみました。

私は、群馬県前橋市の鍼灸専門学校に3年間通い、国家試験を通過し鍼灸師となりました。なぜ、前橋市の鍼灸専門学校なのかといえば、前橋市の物価が低いというのが理由でした。当時、前橋市は関東の県庁所在地中、1番物価が低い場所でした。家賃は3万円台前半でした。ちなみに鍼灸専門学校の学費は400~500万円位します。

鍼灸専門学校1年目でした。正直、「これで、身体を治せるのか?」と疑問を持ちつつ学校に通っていました。学校をあまり信用していなかったので並行して毎月、東京へ鍼灸の勉強会に通っていました。東京などで行われる外部の勉強会へ通っていたのはクラスで私だけでした。現在は、この勉強会で講師をしていますが、当時は鍼灸師がどういうものなのかも分からず、全く先が見えない状態でした。

2年目の暑い夏でした。鍼灸専門学校の非常勤講師である菅野正先生から生徒達へ、群馬県の鍼灸師が集まる夏合宿の参加へのお誘いがありました。しかし、夏合宿はテスト期間中でした。私は面白そうなので参加してみました。当時通った専門学校の生徒は、100名を超えていましたが、参加者は私1人でした。無理もありません。テストを控えていましたので。伊勢崎市で行われた合宿では20人位の先生方が集まりました。その中に、後に師匠となる礒田由紀夫先生がいました。私の所属する鍼灸の会の先生でした。OBです。1947~49年生まれの「団塊の世代」にあたる礒田先生とは相性が合いました。先生とは今でも連絡を取り合い、家族ぐるみでお付き合いをしています。

2年目、風の強い冬頃でした。礒田先生への治療院へ遊びに行くようになりました。鍼灸の昔話や犬好きの私は先生の飼っている犬の散歩をしたりしていました。ある忙しい日、治療院の手伝いをして欲しいと言われ、お手伝いをしました。それから、毎週月曜日にお手伝いをするようになりました。礒田先生の治療院では、学校で学んだことよりも勉強会での理論や技術が頼りでした。よく先生からは本を借りたり、野菜や果物をいただきました。

3年目、風の強い冬頃でした。アルバイトをしつつ学校に通いながら礒田先生の治療院へも通っていました。並行しながら、礒田先生の同級生である古野浩和先生の治療院へ毎週土曜日に通い始めました。群馬県から巣鴨までなので、通いの時間がかかりました。古野先生も私の所属する会の先生、OBです。古野先生からは、鍼や灸の技術を学び、鍼灸や所属する会の昔話をよく飲みながらしました。前橋駅に着くのは、いつも終電でした。また当時、古野先生の資料をゴーストライターとして作成していましたが、この経験が講師となった後の資料作成に活かされました。

4年目の春頃、晴れて鍼灸師となりました。礒田先生の治療院へは毎週通っていました。往診治療も任されるようになりました。初めての往診が、103歳の寝たきりの患者さんだったことを今でもはっきり覚えています。先生のお身内に不幸があった時に、数日間治療院を任されたこともありました。また、鍼灸師となったということで先生からバイト代をいただくようになりました。とても嬉しかった記憶があります。

群馬県藤岡市の武藤純一先生から、一緒に鍼灸の勉強をしないかと声をかけられました。武藤先生は2年前の夏合宿へ参加していた鍼灸師でした。数名で毎週水曜日に理論や治療の勉強をしていました。武藤先生も私の所属する会の先生、OBです。武藤先生からは、勉強し続けることの大切さや鍼灸師の自由な生き方を学びました。別荘へ招待されたり、よく遊びもしました。現在もちょくちょく、合宿のお誘いをいただきます。

この頃、頭の中はほとんど鍼灸のことだけを考えていたと思います。忙しい生活を送っていましたが、とても充実していました。

 

思い出話が長くなり、遠回りをしてしまいました。この時期の私は礒田先生、古野先生、武藤先生から理論や技術だけでなく、鍼灸師という職業や生き方など多くを学びました。3人は、偶然にも私の所属する会の先生でしたが、今の自分があるのは先生方との出会いによるところが大きいと感じています。遠回りをせずテストや国家試験のことだけに集中し、鍼灸師として就職を検討していたら、先生方との出会いが生まれることはなく、まして時間を共有することさえもありませんでした。

さて、遠回りをしていると誰しもが不安になります。その様なときはどうするべきでしょうか? 1つ解決方法が考えられます。それは前向きに「覚悟を決め行動する」ということです。当時、私は以前の会社員へは戻らず、鍼灸師として歩んでいこうと覚悟を決めました。

人は将来や先を考え、思考することができる生き物です。動物には無い特殊な能力を持っています。基本的に動物は寝る、食べるなど現在のことを考えて行動しています。1年先のことなどは考えていないでしょう。なお、考えるという概念があるかどうかも定かではありませんが。人は成功や失敗など良いことも悪いことも含めて色々と考え過ぎてしまいます。

人は将来、未来を考える能力を獲得してきたことで、ある能力を備えてしまいました。「暗示」です。自然とプラスやマイナスの暗示にかかってしまいます。暗示というと「オカルト的」なことを連想しがちですが、オカルトではありません。例えば、嫌なことや心配ごとを考えているとします。人によってはお腹が痛くなったり、心拍数が増えたり、顔が赤くなったりしてきます。さらに具体例をあげます。就職活動での面接、大勢の前でのスピーチ、相手の両親への結婚の挨拶などを控えていたとします。すると、たとえ3日前でも10日前であっても真剣に考え、イメージを進めると心にストレスがかかります。ドキドキし始め、身体に反応が出てきます。また、駆け出しの鍼灸師は治療が上手くできなかった場合のことをあれこれ考え、治療の前に緊張で手が冷たくなってしまうことがあります。個人差や程度の差はありますが人は意識、無意識に関わらずストレッサー(ストレスの原因)の影響を受け、暗示の影響を受けてしまいます。そしてマイナスの暗示は、既に説明したように心と身体に良い影響を与えません。

ただし、ストレスを提唱したハンス・セリエは、後に適度なストレスも必要であるともいっています。

不安は心と身体にとって良いものではありません。であれば「遠回りは必要なこと」だと覚悟を決め、できるだけ悪いことやマイナスになるようなことは考えずに行動してみるのも良いのではないでしょうか。

鍼灸師という職業は安定しない浮草のようなものですが、私はいつも楽観的に生きています。